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まじめな検索ワードで、たまたまこのブログに辿り着いた方へ。
申し訳ございません;このブログは、場末のエロ同人の管理人が、イ~加減な与太話をだらだらと毎日書き垂らしており、アダルティな内容を多分に含みます。ひとまず検索画面に戻っていただき、他のサイト様へのご訪問をお勧めいたします。
さて、本日もトンデモ教師たちの不行状が山のように伝えられているが、やみげんには概ね穏やかな一日であった。
ちょいと
戸川純氏関連の歌詞を見返す機会に恵まれたので、思ったことを書き残しておこうと思う。
戸川氏に関しては、以前に少しだけ
当ブログで書いたことがあるのだが、聞けば近年、若者世代にも再評価されているらしい。
実際の楽曲制作がどのように進められたのかはわからないし、当事者が、どれほどの意味を作品に持たせたかは不明である。ただ、意図せぬ表現をも含んだ総体が、“作品”なので、以下に場違いなレビューもどきを書いても、お許しいただけるものと信じる次第。
サウンドについては、はっきり言って90年代以降、「J-POP」そのものに大きな進化・変化があるわけでない。だから、当時かなり先を行っていた
ゲルニカや
ヤプーズの作品が、昨今のパクリすれすれ、継ぎ接ぎだらけの曲の中でも輝きが失せないのは当然だ。したがってそれについての評価は、彼らが全盛だった頃のそれと変わらないと言ってよい。今、あえて評価するべきは、歌詞の暗示的予見性だと思う。
改めて読み返すと80年代中~後半に書かれた歌詞であるにもかかわらず、すでに現在を予言しているかのような記述も多くあり、時代を超えて支持を受けるのも納得できる。
歌詞は戸川氏によるものだけではないので、当時の彼らの「若く鋭い感性」と一括りにするが、社会の深層に流れるドロドロとしたモノや、剥き出しの“人間”(主にエロスとして表現されるわけだが)、そのものを見事に捕らえている事に脱帽させられる。当事者たちは、そのことを意識していたのかしら?してたにせよ、無意識にせよ、スゴイ事に変わりはないわけだが。
やみげんは凡人であるので、今になって「ああ、そういう事を言いたかったのね」と理解させられたわけだ。
総じて、時代を超えても共感を得られる表現には、なにかしらの真理のようなものが込められている。それを掴み取る感性は誰にでもあるものではないのだろう。ただただ羨ましい限りなり。
せっかくエロという、「人間」を表現するには手っ取り早い“飛び道具”があるのだ。黒い教室でも後世の鑑賞に耐えうる作品を目指したいと思った。
本質に気づく感性、うまく織り込んでいくだけの技術…何をすれば良い?哲学書でも読むか?生物学が大切な事はなんとなく理解しているぞ!心理学や医学にも見識を広げねば!
凡人にとって道は長く険しいが、一歩一歩高みに向かおう!
[ 2009/11/04 20:00 ]
与太話 |
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