上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ]
スポンサー広告 |
TB(-) |
CM(-)
皆様
いつも黒い教室を応援頂き、ありがとうございました。
今年は、地味に新しいことに挑戦した1年でもありました。
結果が約束されていないものに、エネルギーを割く事は、この歳になるとなかなか辛いものです。それでも、どーにかこーにか、恥をかかずにすんでいるのは、ひとえに皆様のお陰であったと感謝しております。
世間の様々な指標が、厳しい状況を示す中、崖っぷちですがなんとか踏みとどまり、2011年を終えることが出来そうです。
来るべき2012年が皆様にとって、そして弊会にとって素敵な年となりますよう、祈念したします。
今後とも、ご愛顧の程、どうぞよろしくお願いいたします。
黒い教室 一同
さて、大晦日のやみげん。
個人に関しては、しみじみと2011年を振り返ることも無く、そしてなんの反省も無く、ダラダラとカウントダウンの時を迎えようとしている。
明日も含めて、こういう特別な日、節目の日は苦手だ。どー対応していいのか、良く分からない。
グレゴリオ暦云々の話ではなく、宇宙時間的な意味で、なぜ1月1日は、明日1月1日でなければならないのか?
そもそも、こんな節目にどれほどの意味があるというのか?冬至・夏至、春分・秋分のほうがよほど意味がありはしないか?たとえば農業には、こっちのほうが必要不可欠だわね。
百歩譲って。
1年を振り返り、反省し、来年を迎える。
そういう日、期間として、共和制ローマの誰かさんが設けたのだとしよう。
うん、確かに他の生物は1年を振り返ることはせんからな。人間らしいっちゃらしいわね。
だけど、ホントに振り返り、未来に活かしている人間がどれほどいるのか?
毎年毎年、真剣に一年を反省してたら、人類はもっとマトモな歴史を歩んでいたかと思う。
特に今年。
3月11日以降起こった、憂鬱な出来事を、皆意図的に忘れようと、そして無かった事にしようとしてないか?
「忘れてしまいたい」そう願うのであれば、それは良い。だけれども、何者かによって「忘れさせられてしまう」事だけは無いようにしたいもの。
明日、新年を迎えると共に、頭の中が、2009、2010、、2012となりませぬよう。
今年は、あおい先生に始まりあおい先生に終わったなぁ。