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年中引きこもりがちのやみげんにとっては、今年も、あまり関係ない事だったのだが、インフルエンザ流行のピークが過ぎつつあるらしい。
というか、今年も流行っていた事すら知らんかった。なんも考えんで、豆を買出しに行ってたけど、ちゃんと手洗いうがいしておいて良かった。
終息に向かっているとはいえ、未だに死人が出てるようだしなぁ…まだまだ気をつけるようにしよう。
さて、それで流行について考えてみた。
「流行」を考えることは、社会心理学という立派な学問に通じるらしい。
Wikipediaの「流行」を読んでるだけでも面白いぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E8%A1%8Cつい最近流行った、「
ステマ」でも言われていた事だが、流行は、そのほとんどが、主に経済的な動機によって、人為的に作られているようだ。
人間と言う生き物が元々持っている、社会への帰属願望を利用している点で、この「流行」を作るという作業に、ネガティブなイメージを抱いてしまうよな。「流行最前線」と聞くと、なんとも、煌びやかで文化的、知的な響きであるが、実際は、その対極にある、泥臭く原始的な部分を刺激しているに過ぎない。
でも現実には、イノベーター理論に出てくる、「レイトマジョリティ」(後期追随者)のように、流行っている対象“そのもの”の価値を判断するわけでなく、「流行っているからこそ、価値がある」という人も沢山いるわけである。そのような人たちにとっては、「流行」が見えない世界は、無価値の連続であり、不安で不安で仕方がないのではなかろうか。
彼らからすると、「流行」の作り手は、心に平穏をもたらす、まさに“見えない”神のごとき存在かもしれん。
世界人口70億人全てが、どこにも帰属せず、好き勝手な方向に向いているカオスな状態こそが、もっとも平穏な状態と考えるやみげんの、(もちろん私自身も含めた)人類に対する絶望の一端が、この「流行」という現象に在る。
[ 2012/03/05 19:16 ]
与太話 |
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