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宿題メモ4「不信」

さて、先日の「どこからがSMプレイ?」での、海苔P氏とやり取り。
“S”と“M”との間の信頼関係について、の件。

海苔P氏 (信頼関係について)『確かに不可欠な部分だけど、それを表に出して欲しくないです。信頼関係が大切だと連呼する人ほど自分の事を隠して人の事を探る人が多かった。「どんなプレイが好きですか」の質問に「女の子に合わせる」て返答が多かったです。これて信頼関係を作りたい人のセリフて何時も思ってた。』

なにか、やみげん本人の事を責めらている気がした。
私もかつて同じような台詞を、付き合っていた女性に別れ際、言われたことがある。

彼女曰く 『あなた(やみげん)は、「人は信頼せんといかん」とよく言うけれど、そういう人は、ホントは人を信頼していない、しようともしない。私のように「人なんか信用できない」と言ってる人ほど、実は、人を信頼している、していたい、と思っている』

図星であった。
私自身は、海苔P氏の言葉の中に出てくる「自分の事を隠して人の事を探る人」ではなかった、と信じたいが、彼女の目に私は同じに映っていたかもしれないね。

この際、『“M”は“S”を信頼しているが、“S”は“M”を信頼していない。』、と考えても良い気がしてきた。
つまり、“S”は不安ゆえに加虐し、相手の信頼に安堵するのである。“M”が自身の責めにどれほど耐えられるか、加虐の度合いを強めるほどに、その信頼の強さが確認される。

フランスの作家、ロマン・ロランによれば、

『愛は信頼の行為である。
神が存在するかしないかはどうでもよい。
信ずるから信ずるのである。
愛するから愛するのである。
たいした理由はない』

ということのようである。異論は無い。
だとすれば“S”は、相手を(肉体的・精神的に)傷つける事でしか、愛を確かめられない、哀れな人たちなのかもしれない。

『愛は不信の行為である。
信じたいから傷つけるのである。
愛されたいから傷つけるのである。
深い理由がある。』(やみげん)

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[ 2012/02/17 15:13 ] SM | TB(0) | CM(-)

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